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ボルドーという街

シンドロ県の県庁所在地らしいです。

ボルドー(Bordeaux)は、フランスの南西部に位置する都市で、アキテーヌ地域圏の首府、ジロンド県の県庁所在地である。

ガロンヌ川河口に位置する港町で、湾曲部にそって三日月形に市街地が形成される港町である。ボルドーワインの産地として世界的に有名。中心部から北側にかけては、都市計画による大通りがある。市の南側は18世紀に建設されたが、狭くてまがった通りのある古い一画である。

ジロンド県の県庁が置かれている地で、フランス革命期にはジロンド派の地盤であった。現在も、フランス南西部の中心的な都市である。

ボルドーの町は紀元前300年にケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。紀元前1世紀にはローマに占領されて主要な交易港となり、ワイン生産が盛んで商業地としてさかえた。4世紀には、アクイタニア・セクンダ州の主都となり、大司教座がおかれた。5世紀にローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派であるゴート人に支配され、10世紀にはノルマン人のヴァイキングの侵略を受けた。732年にはスペインから来たアブド・アル・ラーマンのイスラム軍に占領されている。1154年、アキテーヌ女公エリアノールがやがて英王となるヘンリー2世と結婚したため、12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下にはいった。だが、イングランド軍はフランス軍との戦いにやぶれ、百年戦争末期の1453年に撤退しフランスに奪回された。イングランドの支配下である程度の自治を享受していたため、1548?1675年にボルドーはフランスの支配に対して反逆した。ボルドーは18世紀に西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。フランス革命時には、穏健共和派であるジロンド派の本拠地であった。ジャコバン派による恐怖政治の時代には、ボルドーのジロンド派に対して報復が何度もなされた。1871年、普仏戦争が敗勢に陥る中、ボルドーで国民議会が開催され、ボルドーにフランス政府がおかれた。この時に、ティエールが行政長官に選ばれた。1880年ごろから、ブドウのべと病を防ぐボルドー液が使われ始めた。

第一次世界大戦中にも、ドイツ軍がパリ近郊まで迫ったためフランス政府がトゥールを経てボルドーにうつされた。第二次世界大戦でも1940年6月にパリ陥落を前に一時期政府がおかれたが、間もなくドイツ軍に占領され、政府はビシーにうつった。1945年4月、フランス軍はドイツ軍を一掃した。当時、レジスタンス運動の指導者だったジャック・シャバン・デルマスが戦後の1947年から1995年まで長期に渡ってボルドー市長を勤めた。ボルドー市長の座は1995年から2004年までアラン・ジュペが占め、その後、ユグー・マルタンとなっている。
(以上、ウィキペディアより引用)

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2008年02月15日 01:14に投稿されたエントリーのページです。

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